転職成功者インタビュー

株式会社XEN GROUP(旧社名:株式会社タカハタ)
中山聡さん(仮名・営業技術) 33歳

家族と離れて暮らす心配から解放。生まれ育った香川で手に入れた充実の日々。

大手企業の技術者として、発電所のプラント製造に携わっていた中山さん。仕事にも会社にも不満はなく、地元の高松には「定年退職してから帰ればいい」と考えていたという。

ところが、年々歳をとっていく両親を見て、心配が募るように。「このままキャリアを積んでいけば、もっと辞めにくくなるし、周囲にも迷惑をかけてしまう」と考え、入社10年を区切りにUターンを決意した。

会社規模は前職と比べると小さくなったが、「本当にいい会社と出会えた。朝、がんばろう!と思える幸せを感じている」と話す中山さんに、Uターン転職体験談をうかがった。

※本記事の内容は、2021年7月取材時点の情報に基づき構成しています。

過去の
転職回数
1回
活動期間
エントリーから内定まで195日間

転職前

業種
機械メーカー
職種
基本設計
業務内容
火力発電設備のボイラのプロセス設計

転職後

業種
機械メーカー
職種
営業技術
業務内容
食品工場に向けた自社製品の提案営業、試験対応、設備提案、仕様決定、プロジェクト管理等

「長時間の電車通勤は不毛。東京に永住するイメージがわかなかった。」

現在のお仕事はどんな内容ですか?

高松市に本社がある機械メーカー、株式会社XEN GROUPで働いています。会社のメイン事業は産業機械のOEMですが、私は自社商品の開発販売をめざすPB事業部に所属し、技術営業を担当しています。お客様が困っていることに対して、機械開発の提案を行い、仕様をつめて契約後もお客様との窓口となって、引き渡しまで、プロジェクト管理していく仕事です。

入社前のご経歴を教えてください。

高松の高校を出た後、北海道の大学・大学院に進学し、環境工学を学びました。その後、大手機械メーカーに就職し、火力発電所で使用するボイラの基本設計や開発に携わっていました。勤務地は、最初は東京でしたが、その後、愛媛に異動。3年間勤務した後、また東京に戻って5年間働いていました。

転職のきっかけは?

生まれ育った高松に帰りたい、という思いからです。就職した頃はそういった気持ちはあまりなく、定年したら戻ろうと思っていたのですが、両親がだんだん年老いていくのを見ていくうちに、近くにいてあげたいと思うようになったんです。

もう一つ、東京で暮らし続けるイメージがわかなかった、ということもあります。永住するとなると、家を持つことになりますが、通勤に片道2時間かかるような場所に家を買っている人も、東京では当たり前でした。通勤にそんなに時間をかけるなんて「時間の無駄」と感じていたんです。

仕事には不満もなく、やりがいを感じていましたが、このままキャリアを積んでいくと、周囲に迷惑をかけてしまうと考え、就職して10年たったのを区切りに思い切って転職を決断しました。

転職活動はどのように進めましたか?

ネットで検索し、地元の転職に強いリージョナルキャリア香川の存在を知りました。大手転職エージェントの方が求人数は多いかもしれませんが、結局どれを選んでいいのかわからなくなると思い、利用しませんでした。

リージョナルキャリア香川の担当コンサルタントに伝えた希望としては、まず高松で働けて転勤がないこと。業種については、ものづくりの会社で、できればお客様と接することができる仕事がいいと伝えました。すると7社ほどの選択肢を提案されたのですが、その中で最も勧められた今の会社を受けました。

今の会社に決めたポイントは?

もともとの募集職種は「機械設計」で、私のキャリアとはちょっと違っていたんです。それでもコンサルタントが「最近、建屋も新しくなって、これからの成長が期待できる会社ですよ」と背中を押してくれました。また企業も「会ってみたい」と言ってくれたので、面接を受けることにしたんです。そして、面接の場で入社意志を伝えました(笑)。それくらい魅力を感じたんです。

まず社長が「従来はOEMが主力だったが、これからは自分たちの商品を作れるようになっていきたい」と将来への思いを熱く語ってくれました。「大学時代に学んでいたような、環境問題に貢献できる仕事をしたい」という私自身の夢も伝えると、会社がフードロスの問題解決に向けた機械の開発にも取り組んでいたことから「君のやりたいこともできるようになるよ」と社長が言ってくれたんです。

実家からも近かったこともありますが、やはり最後の決め手は社風でした。社長の気さくで熱い人柄がそのまま社風になっているようで、社員さんたちがいきいき、楽しそうに働いているのを見て「ここやね!」と思いました。

「会社が小さいからこそ、成長できる。休日は好きなゴルフや野球も満喫。」

転職していかがですか?

まずは1年間くらい、会社のものづくりの基本的なところを勉強させてもらいました。図面の見方、書き方、加工の仕方。実際に組み立ても体験し、どんな製品なのか身をもって学んでいきました。そこから今の部署に配属され、営業の勉強をスタート。見積もりや積算などを学び、実際に担当もしながら、徐々にお客様とのやりとりを任せてもらえるようになりました。

自分と同じ世代の社員が多く、比較的若い職場なので、活気があります。ただ、まだ新しい事業部なので、ノウハウがまだ積み上がっていない一面もあり、誰かに教えてもらうというよりは、自分で動いて、学んでいかないといけないところもあります。

今は特に、フードロス対策の機械の提案営業に力を入れています。自分がやりたかった環境分野の仕事なので、やりがいがあります。

転職してよかったと思うことは?

人間関係がすごくよくて、家族みたいな社風が心地よいですね。困っていたら助けてくれるし、みんな明るくて、前向き。だから仕事に行くのが全然、苦じゃないんです。朝から「がんばろう!」と思えるんですよね。

前の職場は大企業でしたから、基本的には上から言われる仕事をやるだけでしたし「自分がいなくてもまわっていくんじゃないか」という意識がありました。仕事の範囲も狭く、1人1人の役割分担もはっきりしていました。でも今は「1人で全部やる」という感じで、その大変さはありますが、今の環境のほうが技術的に成長できると感じています。

プライベートの面でよかったのは、とにかく安心できたこと。東京時代は「両親に何かあったらどうしよう?」という不安を常に抱えていましたが、今はその不安から解放されました。両親もとても喜んでくれています。

本当にいい会社を紹介してくれたと、リージョナルキャリア香川には感謝しています。

困ったことや課題はありますか?

仕事の面では、機械を売る難しさを感じています。1台が数千万円するような高価な商品なので、それをいかに売るかが今の課題。まわりにお世話になりっぱなしなので、早く恩返ししたいと思っています。

生活面で困ったことは全然ないですね。生まれ育った街はやっぱり暮らしやすいですよ。

生活面の変化はありましたか?

今は実家で、両親と祖母と4人で暮らしています。車で15分の場所に会社があるので、通勤時間は圧倒的に短くなりました。東京時代は満員電車で1時間かけて通勤していましたからね。あの頃はそれが当たり前で何にも感じていなかったんですが、今の生活を体験すると、もう戻れないですね。

転職してから、ゴルフと野球も楽しめるようになりました。東京はゴルフ場が遠いし、車も持っていなかったのでやってなかったのですが、高松はゴルフ場が近くにあり、車で30分ほど走れば行けるので、今は毎月行っています。

また中学・高校時代に熱中していた野球も、久しぶりに再開しました。当時の友達のチームに入れてもらって、ナイターリーグで頑張っています。ですから休日の趣味はかなり充実しましたね。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

私は本来、職業はコロコロ変えないほうがいいと思っていたのですが、今回は「後悔したくない」という思いが強かったので、動く決断をしました。あのまま不安や葛藤を抱えながら生活していくのはしんどかったと思いますね。

リージョナルキャリア香川にしぼって活動したのも正解でした。香川での転職に特化しているし、それでいて電話やメールでやりとりしてくれたので、東京にいたままで活動できたんです。それは非常に助かりましたね。

あとはなんといっても、自分に合いそうな選択肢を提案してくれるところがありがたかった。ふわっとした希望でもいいと思うんです。自分の希望や素直な思いを伝えると、リージョナルキャリア香川なら親身に相談に乗ってくれると思いますよ。

担当コンサルタントから

チーフコンサルタント 
溝渕 愛子

大手機械メーカーでボイラの基本設計を担当されていた中山さん。引き渡し後のトラブル対応なども含め、プレッシャーのある役割を担いながらも、「お客様に納得いただいた時の達成感がやりがい」と、誠意をもって取り組まれていたことが印象的でした。

もともと地球温暖化の改善などに興味を持ち、環境工学を学ばれたことから、環境問題に貢献したいというお考えもお聞かせいただき、フードロス問題に取り組む株式会社XEN GROUP(当時は株式会社タカハタ)をご紹介しました。

ご入社から3年が経った今、「人が素晴らしい」「常に向上心を持つ社長と、仲間が助け合う風土が良い」と、とても充実されているご様子。何よりも「幸せと感じることが増えた」というお言葉には感無量です。

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