転職成功者インタビュー

株式会社吉田石油店
小野洋介さん(仮名・営業) 39歳

社会人野球を引退して社業に専念し8年。断ち難い故郷への思いを叶えたUターン転職。

香川県出身の小野洋介さん(仮名)は高校・大学で本格的に野球に打ち込み、社会人野球の選手としてスカウトされ、愛知県のガス会社に入社した。強打者として鳴らし、東海地区のベストナインに選出されたこともある彼が選手生活を終えたのは30歳の時。そこからが会社員としてのキャリアのスタートだったが、経験のない営業職にも真摯に取り組み、チームリーダーを任されるまでになった。しかし、地元・香川に住む女性との結婚を決めた時、その先の人生を故郷で過ごしたいと考えるようになる。そんな小野さんの、30代後半にして初めての転職活動について語っていただいた。(※本記事の内容は、2018年11月取材時点の情報に基づき構成しています)

過去の
転職回数
0回
活動期間
エントリーから内定まで60日間

転職前

業種
ガス(インフラ)
職種
営業
業務内容
業務用および家庭用ガスの営業

転職後

業種
商社(石油製品)
職種
営業
業務内容
LPGおよび新電力の営業

結婚が決断の背中を押し、ずっと帰りたかった香川へ

現在のお仕事はどんな内容ですか?

当社は軽油や石油など燃料を扱うエネルギー商社ですが、私が携わっているのはLPガス部門。香川県内を中心に、LPガスの営業と保安関連業務を行っています。また、昨年から会社として新電力事業にも進出しており、その営業も併せて行っています。顧客には個人の方もいらっしゃいますが、法人のお客様が中心です。飛び込みの新規開拓営業もありますが、どこかで既存のお客様や知り合いと繋がっていることが多いのは、地元ならではですね。話をしているうちに共通の知り合いがいることがわかり、お客様との距離がぐんと縮まったりするのです。営業と顧客という立場からのスタートですが、商談が契約に至らなくても、良い人間関係を築くことができる。これも営業の仕事の楽しさだと思います。

入社前のご経歴を教えてください。

香川県で生まれ育ち、高校の野球部では甲子園を目指しましたが、県大会ベスト8止まり。卒業後は福岡の大学に進学して野球を続けました。4年生の時には全日本大学野球選手権大会に出場でき、そこで野球をやめて地元に帰って就職しようと思っていたのですが、社会人野球の選手として愛知県のガス会社さんから声をかけていただきました。もう一つ上のステージに挑戦してみたいと思い、お世話になることにしました。現役時代は午前中の3時間ほど会社で仕事をして、午後からは練習という毎日。ですから、あまり責任のある仕事を任されることはなかったので、30歳で選手を引退した後、一から営業の仕事をすることになりました。ずっと野球しかしてこなかったので分からないことだらけでしたが、幸い上司や周りのメンバーに恵まれて、サポートしてもらいながら仕事を覚えていきました。退職の時にはチームリーダーとしてマネジメントを任されていました。

今回の転職の理由ときっかけは?

そのまま仕事を続けることもできたのですが、いつかは地元・香川で暮らしたいという思いが昔からありました。なぜ地元がいいのかと言えば、水が合うというか、人が合うというか、空気が合うというか。両親や親戚がいて、昔からの気の合う仲間もいて、都会と比べて時間がゆっくり流れている。だから野球をやっている間も、「引退したら地元に帰ろう」とずっと思っていたのです。野球の引退は、「いい感触で打てた」と思っても、思うように打球が飛ばなくなってきて、潮時だろうと感じて決めたのですが、ちょうどそれがリーマンショックの頃。上司に「引退を機に地元へ帰ろうと思っています」と伝えると、「ちょっとタイミングが悪い。今ではないと思うよ」と。そのアドバイスに従って会社に残ったのですが、内心ではずっと「帰りたい」と思いながら、気がつけば8年も経っていました。今回、転職するきっかけになったのは結婚です。妻も香川の人なので、結婚するなら私が香川に帰るか、妻を名古屋に呼ぶかのどちらか。迷うことなく、帰ろうと思いました。

転職活動はどのように進めましたか?

私にとっては人生で初めての転職活動。妻の友人にリージョナルキャリア香川の方がいたので、一度話を聞いてみようとお会いしました。私からの条件は、香川県の会社であること、日曜が休みであること。本当にそれ以外に条件はありませんでした。担当コンサルタントの方に「こちらの会社が合うと思います」とおすすめされたのが吉田石油店でした。その言葉を信じて書類を出し、採用に至りました。

今の会社に入社を決めた理由は?

最初の面接では、全国転勤のある部署での採用を打診されたのですが、地元で仕事をしたいという話をしたところ、今所属しているLPガスの部門は県外異動がないということで、決め手になりました。経営基盤もしっかりしていますし、今までやってきた営業の経験が活かせる点も大きかったですね。他の細かいことは、新しい会社でやっていく中で、自分が合わせていくものだというのが自分の考え方。会社から給料をもらっている以上、会社のために力を尽くすのは当たり前のことだと思うのです。

地元で営業をする楽しさ。いずれは会社の看板を背負える存在に

転職してから今までを振り返っていかがですか?

まず、地元で仕事ができることが楽しいですね。名古屋で営業に回っていた頃は、共通の知り合いがいる人に会うことなどありませんでした。でも今は、「あの人はどこどこの誰々と知り合いやで」ということが珍しくない。仕事の関係なのに距離感が近くて、楽しさを感じています。新しい仕事は前職の知識が生きる部分もありますが、やはり新たに勉強することも多い。それでも周りの人たちサポートしていただきながら、営業目標もなんとかクリアしています(笑)。

プライベートの変化はありましたか?

草野球チームに入って、2週間に一度くらいのペースで野球をやっています。昔、高校野球を一緒にやっていた仲間とまた一緒にできるのは楽しいですね。30歳までセミプロでやってきたのでそれなりの実力を見せたいところですが、いかんせんブランクが長すぎました。チームメートから「もっと期待しとったんやけど」と言われることが多いですね(笑)。残業は前職の時よりも少し多いくらいなのですが、感覚的にはあまり残業している気がしません。通勤時間が短くなったこともありますが、多分今の方が仕事を楽しめているのだと思います。

今回の転職で想定外だったこと、今後の課題だと思うことはありますか?

想定外ではありませんが、給与は減りました。ただ、生活実感としてはそれほど下がった感覚はありません。仕事面での課題は、もっと知識をつけて職場の中で影響力を持てるようになれたらと思います。社歴はまだ1年8カ月と浅いですが、年齢的には中堅ですから、営業のメンバーをチームとしてまとめて、より楽しく仕事ができるような雰囲気を作っていきたいですね。

今回の転職をして良かったと思うことは?

私の両親だけでなく、妻の両親や親戚とも仲良くさせてもらっており、そうした家族の近くにいられる安心感、心地良さがあります。妻を名古屋に呼んで二人で生活していたらと考えると、やはり帰って来て良かったと思います。今後の子育てのことを考えても、この環境の方が絶対にいい。私自身、両親が共働きで“爺ちゃん・婆ちゃん子”だったので、自分に子どもができたら同じ様に、僕の両親や妻の両親と一緒に育てて行けたらいいなと思いますね。本当に、ようやく人生の基盤が整ったという感じがします。また、地元に帰るという選択をしたことで吉田石油店という会社と縁ができたことも、良かったことだと思います。だからこそ、同業のライバル会社がたくさんある中で、地元では絶対に負けたくないという気持ちがあります。吉田石油店の看板を背負って地元で人脈を広げて、「ガスやったら小野が吉田に行きよるけん、吉田に言ったらええやん」と言ってもらえるようになりたいのです。

これから転職を考えている方にアドバイスをお願いします。

野村克也さんの「覚悟に勝る決断なし」という言葉が私は好きなのですが、転職もまた、覚悟だけだと思うのです。転職したその先に何があるか、結局はしてみないとわからない。覚悟して自分で腹をくくったのであれば、それが全て。私はなかなか覚悟が決まらずにズルズルと8年も過ごしてしまいましたが、あの時覚悟を決めたから、今があるのだと思っています。

担当コンサルタントから

コンサルタント 
四ノ宮 こころ

小野様とは私の親友の旦那様としてご縁をいただきました。当時、小野様は名古屋在住、結婚を機に香川に戻ることを希望。電話面談での「どんな仕事でも構わない。お任せする。」という言葉が今でも印象的です。でも、お任せする、その言葉にこそ小野様の信念がありました。社会人野球選手として会社の看板を背負い勝負し続けてきたこと、引退後は一組織人として結果を出し続けたこと、小野様の生き方は揺るぎない責任感と実行力そのものでした。どんな環境でも合わせて行くのは自分だ、という信念をいつも心の真ん中に置いて、貢献に尽力し続ける小野様。その生き方に次世代の吉田石油店を牽引する人物となられることを信じて疑いません。ご入社直後からもう何度もご活躍の様子をうかがっています。これからも仕事と家族そして野球!益々豊かな香川LIFEを送られますよう心から応援しています!

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