パッケージ印刷の一貫生産体制で得た、全国の食品大手からの厚い信頼。
株式会社北四国グラビア印刷
代表取締役社長 奥田 拓己
1988年、立命館大学を卒業して東洋インキ製造株式会社に入社。1990年、地元にUターンし、父の経営する株式会社北四国グラビア印刷に入社。大手印刷会社の下請けから顧客との直接取引を行う会社への脱皮を図る中、先頭に立って営業活動を行う。2003年には専務として懸案であった製版工程の内製化を実施。企画から製版・印刷・納品までの一貫生産体制を確立する。2006年、代表取締役社長に就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
フットワークと対応力で下請けから脱却。
北四国グラビア印刷は食品を中心に衛生用品、化粧品、医薬部外品などのフィルムパッケージ印刷を行う会社です。
香川県西讃地方は、かまぼこなどの食品加工業が昔から盛んでした。大阪でグラビア印刷を修業した私の父が、地元の食品産業をパッケージ面から応援しようと、1970年に当社を創業しました。
その頃あった設備は印刷機1台のみで、大手印刷会社の下請けが中心でしたが、冷凍食品の登場という時代の追い風を受けて事業は順調に拡大。そのような環境のもと下請けの立場から、お客さまと直接取引できる体制へと変貌を遂げていきました。
当時、地元の冷凍食品メーカーは急成長し、新商品や派生商品が次々に登場。あまりに成長スピードが早すぎるため、元請けの大手印刷会社は全ての要求に応えきれない状態に。そのため、メーカーのすぐそばにいる私たちがメーカーを直接訪ねて要望を聞く、というケースが増えていました。
1日に何度もメーカーにお邪魔し、商品の情報を聞いたりパッケージ案を持っていったりと、地元ならではのフットワークを活かす営業スタッフたち。そのうちに、スーパーなどに並ぶ市販品は従来通り大手印刷会社が担当する一方、デザイン性を重視しない業務用食品は北四国グラビア印刷が担当する、という棲み分けができました。
直接取引の商品ができると訪問頻度がさらに拡大。1日で10回訪問することも珍しくなくなりました。すると「北四国グラビア印刷さんは対応が早い」と評価してもらえるようになったのです。
私たちはパッケージの納品のため、工場にもたびたび顔を出します。そこで顔見知りになった工場の責任者から直接要望を聞いて次回のパッケージに反映する、という流れが生まれました。やがて、工場の方から冷食メーカーの購買・調達部門に「この食品のパッケージは北四国グラビア印刷にお願いしてほしい」と口添えしてくれるようになりました。
拡大し続ける直接取引の要望にさらに応えるため、1992年に新工場の建設を決断。元請けの不興を買うことは覚悟していましたが、退路を断っての船出でした。
今や7~8割が顧客との直接取引に。
新工場建設とともに業績は右肩上がり。迎えた2000年、もう一つの決断を実行に移しました。製版工程の内製化です。以前は製版工程を外注していたものの、版ができるまでに時間がかかりますし、思うような仕上がりにならないことも多々ありました。それならいっそ内製して一貫生産体制を構築しようと考えたのです。
2003年に億単位の投資を行って製版部門を新設。まだ売上20億円だった当社には身の丈を超えた投資でしたが、リターンも大きなものでした。
例えばパッケージの色校正を行う際、お客さまがいる東京の事務所などで色の確認を取り、最終的には印刷をする工場に立ち会ってもらいます。その度に製版が必要なのですが、版をそれぞれの地域で外注すると品質にばらつきが出て、確認の度に色が合わないということが起こります。そうすると工場立会でOKが出ず、1点のパッケージを何度もやり直していました。
しかし、製版も自社で行う今は、そのような事態が発生しません。1日1点どころか、5点でも6点でも確認を取って工程を先に進めることが可能です。企画・デザインから印刷、納品までトータルで対応するため、品質・コスト・納期を自在にコントロールできるようになりました。
私たちはずっと「お客さまから信頼を得るには、“ここまでで良し”という言葉はない」という想いを抱き、事業を続けてきました。1日に何度もお客さまのもとに通うことをいとわなかったのも、億単位の巨額投資で製版を内製化したのも、すべては“ここまでで良し”と安住せず、「お客さまの満足を追求したい」との想いからです。
その努力が実を結んだのでしょう。創業当初は90%以上が下請け仕事だったものの、今や7~8割が直接取引となっています。
ISO22000を取得し、品質の高さを保つ。
紙の印刷物の減少に伴い、パッケージに参入しようという印刷会社もあります。しかし、定着するところはほとんどありません。
紙の印刷物と比較して、パッケージ印刷は「世に出てからが勝負の始まり」という性質が強いと感じています。商品が店頭に並んだ後、中身が見づらいとか、包装を開けづらいといった課題が発生し、売上が芳しくないと、「パッケージが良くない」と言われることもあります。
ロングセラーと呼ばれる定番の商品ですら、パッケージのリニューアルは定期的に行っています。このようなパッケージ印刷につきものの改善活動に多くの会社は対応できないのです。
現在の当社の顧客は東京・大阪・名古屋・九州など全国に広がっているため、競合はもちろん各地にあります。しかし、当社のように企画・デザインから製版、印刷まで自社で一貫して手がけられるグラビア印刷会社は希少な存在です。
また当社は、ISO22000(食品安全マネジメントシステム)の認証を取得しています。ISO22000は認証取得が難しいだけでなく、取得後の維持も大変です。食品や医薬品という人の体に入る商品を包むものなので、パッケージにも同等の衛生管理が要求されるからです。
これに対応するには、設備だけでなく、業務に関わる従業員の教育にも力を入れなければなりません。ハード・ソフト両面で常にレベルを向上させている点も、当社の競合優位性になっています。
社名に「北四国」と地域名を入れていますが、これは発祥の地に愛着を持っているからです。東京などの顧客と商談する際も、「地域名が入っていてやりづらい」と感じることはありません。今は全国大手の会社でも、製造は生産地に近い場所で行う「適地生産」が主流です。地域名を名乗ることは、「西日本地域のパッケージは、西日本を地盤とする“北四国”グラビア印刷にお任せください」と、むしろプラスに働いています。
なだらかで堅実な発展のための新工場。
2026年には、香川県三豊市高瀬町に新工場を建設します。ここで目指したのは、単なる生産力の拡大ではありません。グラビア印刷のスマートファクトリー化です。
一貫体制は構築できたものの、なお課題がありました。それは工程の最終盤である、仕上げ・出荷業務・倉庫業務です。ここは特に体力的負荷が大きく、人手がかかっています。現在は昼夜の2交代勤務でやりくりしていますが、本質的な解決策とは言えず、通常の日勤で回るようにしたいとずっと考えてきました。
新工場の完成により、それがようやく叶いそうです。現工場のラインを残しつつ新工場のラインが増えるため、一つのラインをフル稼働させなくても、生産力が確保できます。もちろん新工場に向け、従業員も増員します。そのため業務負荷が分散され、日勤が可能になりますし、地元の雇用増加にも貢献できます。
北四国グラビア印刷は、「全グラビアーズ(=従業員)の物心両面の幸福を追求すると同時に、社会・地域・業界の進歩発展に貢献する。」という社訓を掲げています。この想いを形にした新工場、と言ってもいいでしょう。
新工場完成により、2029年の売上は70億円と現在の1.5倍を見込んでいます。これは決して「急激な成長」ではありません。顧客と社会の求めに応じて、役割を果たす。従業員と地域の幸せを何よりも重視する、という「年輪経営」の実践で自然とついてくる業績です。今後も私たちは短期的リターンを追うのではなく、なだらかで着実な発展を続けていきます。
営業・製造の全部門で「全員営業」を実践。
印刷の製造工程には「職人技」の持ち主がいて、「営業より製造現場の方が強い」や「営業と製造の仲が良くない」といったことを言われがちです。しかし当社にこうした状況はありません。
当社では営業・製造といった職務の違いを越え、全員でお客さまの声と向き合う「全員営業」の姿勢が浸透しています。仕事は無関係に独立して存在しているわけではなく、営業も製造も間接部門も一つのプロセスでつながっています。そこで働く者同士が「お客さまに価値あるものを提供しよう」という想いを共有しながら、互いの専門性を発揮しています。
最近は「環境に配慮したパッケージ」など、新たなテーマも生まれています。こういった難易度の高い課題に対処するには、全員で力を合わせなければなりません。そうしなければ、よりよい社会の形成に貢献できる解決策は見出せないでしょう。幸い当社には、そうした社会的課題に誇りを持って取り組む従業員が大勢います。
当社では、従業員が知人に紹介して入社を促すリファラル採用も活発化しています。これに関して、会社側から従業員にお願いしたことはないのですが、従業員が自発的に勧めてくれるのです。
こういった動きが起こるのも、社員がグラビア印刷の可能性の大きさを実感し、また当社の取り組みにやりがいを感じてくれているからこそ。意欲の発揮できる場所だという手応えがあるからこそ、友人・知人・家族に声をかけてくれるのでしょう。経営者として、とてもありがたいことです。