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地元に根ざし、地域の風景をつくる。木とともに生長する建設会社。

株式会社菅組
代表取締役社長 菅 徹夫

更新日:2023年5月10日

1961年生まれ。神戸大学 工学部建築学科卒業、同大学院 西洋建築史専攻修了。大学を出てからは東京の中堅ゼネコンに入社し、設計部で5年間勤務。1990年に香川へUターンし、株式会社 菅組に入社。2008年、代表取締役社長に就任。仕事の傍ら「ベーハ小屋研究会」を立ち上げるなど、地域資源の発掘などの活動も行う。一級建築士、ビオトープ管理士。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

地域の風景をつくる。

香川県三豊市仁尾町。瀬戸内海のさざ波と緑豊かな丘陵に抱かれたこの地で、菅組は宮大工として産声をあげました。大工職の鑑札を受けたのが1909(明治42)年。当社に残る図面をひもとくと「弘化年間」と記されたものがあるので、少なく見積もっても170年以上、建築に携わってきたわけです。

仁尾町を揺りかごに歩み始めた菅組は、時代とともにお客様からの多様なご縁をいただきました。今では香川県および愛媛県東予地区で事業を営んでいます。また社寺を出発点に、住宅、医療・福祉施設、学校建築、事務所、商業施設、工場、各種リフォームまでを手掛ける総合建設業となりました。

しかし、事業エリアや建築の種類が変わろうと、姿勢は変わりません。お客様の小さな声を一つひとつ大切にして、誠実に、最善を尽くす。積み重ねた技と経験を基盤に新たな知恵、創意、工夫を加えて、ご満足いただけるものを提供する。こうした思いが揺らぐことはありません。

香川県および愛媛県東予地区というエリアを飛び出そうとも思いません。仁尾町に生まれた私たちには、讃岐・東予の自然、風土、歴史、文化が染み付いています。生まれ育ったこの地の風景を知り抜いているつもりです。

しかし、四国山地を越えた高知や徳島には、また違った自然があります。海を越えた本州や九州の風土は、香川とは異なるものです。私たちができるのは、香川・東予に根ざし、人々に感謝し、地域とともに育っていくこと。自ら責任の持てる範囲で、誠意と全力を尽くすことです。

自然を、風土を、歴史を知り、知恵を加える。

建物は完成後、数十年、数百年とその地に残ります。建物は、望むと望まざるとに関わらず、地域の風景と切り離して存在し得ないのです。

かつての人々は、気候を知り、風土を知り、土地に見合った建物をつくっていました。だから建物は地域に溶け込み、その地でしか見られない、個性的な風景を醸し出していたのです。仁尾町で言えば、細く入り組む路地、築地塀、なまこ壁、漆喰壁、屋根瓦が他にはない、「仁尾町の風景」を生んでいました。

なのにいつしか、どこに行っても同じような、代り映えしない風景が目立つようになりました。規格型の住宅が並び、地域の歴史とは繋がらない建築物が目立ち、「ここは何県?何市?」と頭を抱えたくなることが増えてきました。

私たちは香川県や愛媛県東予地区の自然や歴史を知っています。どのような暮らしがあるのか知っています。地域の風土に馴染む建物をつくることで、地域にあるべき風景を取り戻したいと思うのです。

地域の風土に馴染む建物をつくるには、そこで育まれた木などの素材を用いるのが一番です。地域の気候に合った素材は、生態系にも負担をかけない持続可能なものです。全ての素材を地元産で調達するのは難しいかもしれませんが、できる限りこだわっていきます。

短絡的に「昔に戻ろう」という意味ではありません。歴史とは、古い形を頑迷に守るだけではなく、伝統に新たな知恵や技を加えることで、次の世代に受け継がれていくものです。地域に連綿と続く伝統を大切にしながら、時代の価値を組み入れ、新たな讃岐と東予地区の風景を紡ぎ出す。それが進化というものです。私たちは、その一助になりたいと考えています。

宮大工の系譜に育まれた、技術と責任。

菅組は設計、施工管理に加え、大工などの技能スタッフを数十人単位で自社雇用しています。ゼネコンで、職人を自社に抱える会社は珍しいのではないでしょうか。これには、いくつかの背景があります。

一つは、当社が宮大工から始まっている、という点です。宮大工の系譜から生まれた高いレベルの技能は、容易に真似のできるものではありません。今を生きる私たちには、受け継いできた技能をさらに進化させ、次の世代に渡す義務があります。一度失われてしまったら、二度と取り戻せないのですから。

また、これは全従業員に言えるのですが、自分が携わった建物は、自分の人生よりも長くその地に残る場合もある、ということです。地域の風景となる建物をつくりだす人間に求められるのは、不断の努力です。技を受け継ぎ、磨きをかけ、新しい分野を開拓する。そうした努力を怠らない者でなければ、地域に長く受け入れられる建物はできません。

ある施工管理者は言います。「たとえ設計図は同じでも、同じ建物はできない」と。建物の質は、人の手が決めるのです。機械やAIがどれだけ現場で活用されるようになっても、最後の品質は、設計、施工管理、職人の手と知恵がつくり出すのです。

私たちの仕事は「建てて終わり」ではありません。地域に馴染んだ良い建物は、長く使い込んでいきたくなります。歳月とともに味わいが出て、さらに愛着が湧いてきます。

使い続けるためには、見守り続けたいと思っています。古く傷んだ箇所は修繕することで、新たに息づき始めます。適度にリフォームやリノベーションを行えば、人々の使い方・住まい方の変様に対応できます。見守り続ければ建物の価値が維持されますし、自然からいただいた資源を大切に使うことにもつながります。

地域の風景として少しでも長く使っていただけるように、見守り、手当する。それが作った者の責任であり、誇りでもあります。その責任と誇りを全うするには、自社で技術者・技能者を育てることも大切なことなのだと思います。

木造建築は、強く、優しく、温かい。

ゼネコンである当社は、鉄骨造・RC造などあらゆる建築に対応します。ですが、地域の歴史と風土に馴染む風景をつくるという面からも、地産地消、生態系への負荷軽減という観点からも、木造建築には特別の思いがあります。

「鉄骨造やRC造に比べ、木造は弱いのでは?」という声もあるかもしれません。しかし法隆寺を始め、数百年の時を超えてなお健在な木造建築の数々を見れば、それらが誤解であることは明らかです。木造であろうと、確かな設計を行い、丁寧な施工を行えば、強度の高い構造ができます。鉄骨造・RC造であっても、いい加減な設計と施工では、強度は出ません。大事なのは、責任と誠実さをもって建築に向き合うかどうか、です。

近年は、木造による中高層建築も増えてきました。一つには、カーボンニュートラルの重要性が叫ばれる、という時代背景もあります。温もりや快適性、街並みとの調和という点でも木造建築は優れています。病院や学校などは、求められる空間や使われ方から考えても、木造建築の方がふさわしいでしょう。

古材と薪ストーブを販売する古木里庫(こきりこ)を開設したのは、2008年のことです。戦前に作られた日本家屋は、良い木材を使っています。建材だけでなく、家具などもしっかりしています。長い年月を経ることで、これらの古材はえも言われぬ風合いを醸し出しています。

歴史がデザインしてくれたと言ってもいい古材を、ただ解体し廃棄するのはもったいない。古き良き素材を新たな発想の中に活かすことで、時代をつないでいくべきではないか。そんな考えで始めた古木里庫は、ギャラリーとしても開放しており、地域に欠かせないコミュニティースペースになっています。

昔から人々の暮らしと共にあり、今なお古びることのない、環境からの贈り物である木材を大切に使っていきたい。菅組は「木とともに」生長する企業なのです。

地域の人々の笑顔が、糧になる。

菅組とお付き合いいただいたお客様は、個人・法人を合わせて3,000組以上にも及びます。こうしたOB・OGのお客様ともつながっておきたい。それが長く建築を見守り続ける者の責任と考え、年4回「あののぉ」という小冊子を発行し、お渡ししています。

販促など余計な情報は排し、住まいや地域に関する情報だけを伝える内容で、構成や写真撮影、編集も全て自社スタッフで賄っています。もう17年続く「あののぉ」は、4,000部発行の媒体となりました。

私たちが、なぜ品質にこだわるのか。それはひとえに、地域の人々に喜んでいただきたいからです。地域の風土に合った、住む人・使う人が愛着と誇りを感じられるような建築を提供することで、心から笑顔になってほしい。そんな思いがあるからです。

お客様にご満足いただくために「これで十分」はありません。万全に考えて臨み、現場に入ってもう一歩踏み込んでみる。培ってきた知識と技術に、もう一つ新たな工夫を加えてみる。目の前のお客様だけでなく、その子・孫など後に続く世代の人々まで笑顔になれるかどうか、思いを尽くす。進化をあきらめない姿勢で取り組まなければなりません。そうした努力の先にあるお客様の笑顔が、私たちの原動力になります。自分たちを高めるための糧になるのです。

事業を継続していくにあたって、大切にしたい考え方に「変わるべきもの」と「変わらざるべきもの」をしっかり認識することがあります。「変わるべきもの」とは、時代の変様を柔軟に受け入れる姿勢です。「変わらざるべきもの」とは、歴史の中で築かれた普遍的な価値観です。

一見、相反するこの二つを両立させ、融合させなければ、お客様が望み、地域の風景となる建築は生み出せないと思っています。私たちはこれからも、お客様とともに、地域とともに歩む、木とともに進化する企業であり続けます。

編集後記

チーフコンサルタント
加地 盛泰

宮大工系譜で170年以上の歴史を誇る同社。そんな伝統企業のDNAとも言うべき、本質に触れることができた取材となりました。

「なぜ、職人を自社雇用しているのか」「なぜ、エリア拡大を行わないのか」「なぜ、木造に拘りを持っているのか」「なぜ、古材販売や季刊誌を発行しているのか」、それらすべての背景に、日本の木造建築技術の継承や地域に対する責任など、明確な軸を持って事業展開をされている姿勢が非常に印象的でした。

これこそが伝統企業のパーパス経営だと感じたと同時に、同社のような企業が香川県に存在することを、純粋に誇らしく思えました。

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